1986 パブリック技建誕生
パブリック技建へ
独自の技術で道を拓き
信頼で未来を築く
1986年(昭和61年)、須山建設から分社により誕生した会社が、道路維持管理の専門企業として歩み始めた。
時代の転換期を見据えた経営判断、設立時メンバーたちの情熱、
そして独自技術への飽くなき探求心が、今日のパブリック技建の礎を築いていく。

時代が求めた専門企業の誕生
1986年(昭和61年)4月春、須山建設は道路維持管理部門の分社化を決定、「パブリックメンテナンス」として会社を設立した。国の行政改革の流れを受け、静岡県や浜松市でも技能職員の削減が進み、それまで行政が直接行っていた道路維持管理業務が民間へ委託される流れが生まれつつあったのである。須山建設ではこの変化をいち早く察知し、公共インフラのメンテナンス部門の専門会社として独立させることで、新たな市場を開拓することになった。 しかし翌1987年(昭和62年)、社名が建築の修繕業と誤解されやすかったことから、「パブリック技建」へと改名した。設立時の社員はわずか7名。「人数が少なかったので、鳥羽への社員旅行もマイクロバス1台で行った覚えがあります」と設立メンバーは当時を懐かしむ。須山建設時代に一般土木の工事を担当していた元部長は、その技術を買われて設立時に配属となった。同じく創業メンバーで、社員番号が第1番の元課長は、須山グループでの重機オペレーターとしての実績を買われて当社に転籍。さらに入社後、一級土木施工管理技士、一級舗装施工管理技術者の資格を取得し、県道国道の維持管理分野において行政から厚い信頼を得る存在となった。
道路維持管理という新天地
設立当初、路面清掃・ガードレール清掃・除草業務、道路修繕の小規模舗装工事だけでは仕事量を確保できない状況だった。当時、水道業者や舗装業者との折衝を担当していた元主任は、業者間の信頼構築に奔走。小規模な舗装から始まり、大規模案件へとつなげていった。


独自技術開発への転換
しかし、下請け工事のみに依存していては将来がない。その思いが、1988年(昭和63年)のNCコート開発へとつながった。エポキシ樹脂と自然石を組み合わせた景観舗装工事は、高付加価値商品として会社の収益基盤を支える主力事業へと成長していく。
1990年(平成2年)、設立当初からの経理管理の混乱を立て直すため、元課長が須山建設から配属され、経理部門の再構築を担当。「当時はまだ電算化されていなかったので、毎晩10時まで計算機を片手に経理事務に追われました」と振り返る。その後は、プラント管理また景観舗装の責任者として、品質向上にも貢献した。1993年(平成5年)に就任した二代目社長は、西部合材リサイクルセンター建設という大事業の計画にも尽力し、4年の歳月を要し新設移転事業に貢献した。
現場の課題を技術力で解決する姿勢は、機械開発にも表れた。路面清掃機『R2ひかるくん』の『R2』は『ロードリフレッシャー』の略で、路面をきれいにする機械として開発。また、従来の方法では開けづらかったマンホールの蓋を容易に開ける蓋開閉機『あける君』を開発し、磐田市から受注を獲得。商品化も実現した。
設立の精神、未来への継承
「お客様に喜ばれる仕事を提供する」という基本理念は設立から40年を経た現在も変わらない。道路という社会インフラを支える使命感と技術革新への挑戦。設立時のメンバーたちが築きあげた社風は、確実に次世代へと受け継がれている。
